土地へ
H15×W25×D20 cm
photo Ujin Matsuo
バルトーク(1881〜1945)は研究者然とした作曲家だ。古い時代の音楽も、同時代の音楽もよく学び吸収した。そんな彼を生涯捉えたのは民俗音楽だった。
ハンガリーの首都ブタペストで音楽院を卒業したバルトーク。自国の歴史や伝承に根差した作品を作ろうとすれば、そこで用いるべきは民俗的伝統音楽だ。彼はごく自然に、ロマ(ジプシー)音楽に目を向ける。しかし、ロマは北インドをルーツに中近東を経由して、ヨーロッパ中を旅するようになった民族である。その在り方は非常に興味深いが、幅広い交流を通じて様々な要素が流入しており、ハンガリーの歴史文化そのものと無条件に結びつけて良い音楽ではないと彼は理解する。
バルトークは自らが欧州の他の国の人々と同じく、ハンガリー音楽をロマ音楽と思い込んでいて、また地域に残る民俗音楽をほとんど知らなかったことに衝撃を受ける。彼は今とは比べ物にならない重い録音機材を背負って、閉ざされた農村を渡り歩く旅に出る。実際に採集した民謡の数々は古さの全くないオリジナルな輝きを放ち、完全に魅せられた。バルトークのコレクションは増え続ける。個々の地域の独自性を知るためには、他の地域との比較が重要だ。彼の採集の旅は中東やアフリカにまで及んだ。
同時代の音楽の動向にも誰よりも敏感だった彼は、民俗音楽の特徴を学術的に分析し、巧みにそれと結びつけた。フォークロアとモダニズムの融合による壮大な実験は、以降の音楽史にも多大な影響を与えた。現代的だが、血が通い、どこか土の香りもする作品群は、今でも高い人気を保っている。
そんなバルトークもナチス台頭の中、戦果を避けてアメリカに移住する。5年後白血病で64歳で死んでしまうため、よく悲劇の晩年として語られる。しかし、最初は土地を離れ消沈していた彼も同郷の音楽家たちに励まされ復活する。膨大な研究資料をもとに最期まで旺盛な作曲家としての生涯を全うすることができた。そこに幾分の救いがある。