制作の目的を端的に記すならば、それは人物表現において対象を知覚する過程と、実際の制作工程を結びつけ、現象を伴った造形として彫刻上で提示することにある。
自作には各々明確にモデルが存在する。その個人の人間性や生き方、業績等への関心と私の制作衝動は不可分なものである。故に作品上ではアイコンとしての顔が常に強い主張を持ち、肖像としての側面を持つ。私は物故者を制作対象に据えることが多くある。その人物に抱く印象は伝記や回想録といった他者を介して自身にもたらされたものであり、多くの情報を集めるほど、その真の姿は定め難く、確かめようもないことを自覚させられる。 そして主観的な存在である私が特定の個人の像を作ることは、結局は対象に何かしらの役割を付与し、使役しているという構造と切り離すことが出来ないことも意識する。
ところで私は幼少期より所謂クラシック音楽に親しんできた。多くの場合故人である作曲家が遺した楽譜を生きた演奏家が奏でることで成立する表現である。再現芸術とはいえ、演奏は都度異なったものとなるし、その解釈の幅が各演奏家の表現として認められている。つまり、実際に鑑賞者として演奏と対峙する際、その表現の担い手を作曲家と演奏家という2者に求めることができ、表現の主体は分散化されていると捉えることが可能だ。
また、音楽は特定の旋律や和声が形式の中で展開され、変形されながら要素として引き継がれる構造的かつ有機的営みである。しかし実際に対峙する場ではあくまで刹那的瞬間の連続であり、その全体像は記憶を紡ぐことでのみ朧げながらも見出すことが可能なものである。 作家とモデルの同一化感情や、制作対象へのイメージの流動的な変化を私が強く意識する背景には、音楽を通して得たこうした感覚があり、またその課題を克服するための手掛かりも同様に音楽から得ている。結果的に自作は私自身が介在者として対象のイメージを探ることで、結局はそれがモチーフを加工してしまった軌跡であることを造形で示そうとしている。
作品に現れる歪みや引き伸ばし、断片化や融合、複数の顔の出現による作品そのものの主体の曖昧化や、出自の定まらない部位の出現、特殊な素材の用い方といった特徴はいずれも上記の目的に向かう中で獲得されたものである。そして、実際には固着された形に過ぎない彫刻の輪郭は動きを伴い外部に開かれた抽象的印象へと変容する。
私にとって制作対象の人物像すら不確かな存在である。一方で、それが実際には歪みを伴い常に変容するものあっても制作衝動を喚起する力強い存在であり続けることは事実である。この両義的な在り方を提示し、更には私自身がこの一連の現象に加担せざるを得ない立場にあることを認めた上で、今後も人物彫刻を作り続けていく方法論の探究として私の彫刻はある。
栗田 大地
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Profileプロフィール
栗田大地
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群馬県高崎市生まれ
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群馬県立高崎高等学校 卒業
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武蔵野美術大学造形学部彫刻学科 卒業
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東京藝術大学大学院美術研究科彫刻專攻修士課程 修了
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東京藝術大学大学院美術研究科美術專攻彫刻研究領域博士後期課程 修了